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【実物写真】キース・ヘリング展in福岡で観たアメリカンポップアートの始まりの物語

『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セット

読者の知りたいこと

質問者さん
質問者さん
キースヘリング展はどうだった?

アメリカンポップアートの始祖”キース・ヘリング”。
日本で彼の作品が展示されるということで、2024年7月13日〜9月8日に行われたキース・ヘリング展in福岡市美術館に行ってきました!
写真撮影とブログ掲載もOKとのことだったので、実物の写真も載せています。
ご興味のある方はぜひ最後まで読んでいってください。

キース・ヘリング展in福岡市美術館に行ってきました!

キース・ヘリング展 福岡市美術館

僕が行ったのは2024年7月13日〜9月8日に行われたキース・ヘリング展in福岡市美術館。
僕は9月3日(火)の午後に入場しました。
行く前に福岡市美術館に電話をしたところ、写真撮影とブログ掲載がOKとのことだったので、本記事を執筆することに。

キース・ヘリング展の入場券

入場料金は1人あたり¥1,800で、前売り券ではなく当日券を購入しました。
また有料とはなりますが俳優の磯村勇斗さんの音声ガイドもあります。
場所や入場料の詳細は公式ホームページをご覧いただければと思います。

磯村勇斗さんの音声ガイド

俳優の磯村勇斗さんが音声ガイドをしてくれる!

鑑賞した感想を先にお伝えすると、アート=絵にとどまらない、語りかけるようなメッセージ性に心を打たれました。
「彼がアートで表現したメッセージは、今を生きる我々も考え続けなければならない。」という意識が芽生えました。

彼がアーティスト活動を行ったのは1980〜90年代のニューヨーク。
不況下で混沌とした時代に彼が伝えたかったのは、反差別、反戦争、反アパルトヘイト、核放棄、HIV・エイズの予防、性的マイノリティ問題。
彼が遺したアート(意志、メッセージ)を次の章でお見せしていきます。

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【実物写真】キース・ヘリング展の展示内容122点をお見せします!

キース・ヘリング氏はアーティスト活動の中で数多くの作品をこの世に残し、そのメッセージは今も世界中で愛されて続けています。
ここでは展示会のストーリーである第1〜6章の順番に沿って、実際の写真付きで紹介をしていきます。

第1章:公共のアート

美術館やギャラリーといった限られた人しか訪れることのできない空間から、誰もが観に来ることのできる公共の場でアートを展開する方法を模索していたキース・ヘリング氏。
その中で人種、階級、性別、職業に関係なく来ることができ、最も多くの人々が利用する地下鉄に着目。
「ここに書けばあらゆる人々が自分の作品を見てくれる」と考えた彼は、地下鉄構内の空いている広告板に貼られた黒い紙にチョークでドローイングをし始めました。
この「サブウェイ・ドローイング」と呼ばれるプロジェクトは、インターネットやSNSが普及していない時代において、多くの人々とのコミュニケーションを可能にし、誰もが分け隔てなくアートにアクセスすることのできる画期的な手法でした。

キース・ヘリング

キース・ヘリング

《キース・ヘリング》

自身の写真と絵の自画像を組み合わせた作品。

ニューヨークにて

ニューヨークにて

ニューヨークにて

ニューヨークにて

ニューヨークにて

ニューヨークにて

ヘリング氏がニューヨークでサブウェイ・ドローイングを制作している写真から始まります。

サブウェイ・ドローイング

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

サブウェイ・ドローイング

《無題》(サブウェイ・ドローイング)

1980年代初頭にヘリング氏はニューヨークの地下鉄にて、黒い紙が貼られた使用されていない広告板にチョークで絵を描く、通称”サブウェイドローイング”というグラフィティ・アートを始めました。
そのコミカルで誰もが楽しめる落書きは、地下鉄の通勤客の間で評判となり、ヘリング氏は一躍有名になりました。

宇宙船や架空の生物の中にも現実に人々が描写されており、服従を要求する抑圧的な政府を表しているともされています。
ここでも反戦思想を打ち出した作品が見られるため、ヘリング氏が絵を通じて伝えたかったことは自由と平和ではないでしょうか。

中でも印象的だったのが、お金を燃やしている戦車の絵。
「どうだ明くなったろう」で知られる、和田邦坊の成金栄華時代を想起させます。
背景は違えど「お金を無駄遣いする愚かさ」という点でリンクします。

和田邦坊の成金栄華時代

《成金栄華時代》

エンジェル・オルティス(LAⅡ)との共同制作

エンジェル・オルティス(LAⅡ)との共同制作

《エンジェル・オルティス(LAⅡ)との共同制作》

エンジェル・オルティス(LAⅡ)氏らしさとキース・ヘリング氏らしさが融合した作品。
線のタッチでアーティストが判別できることもありますね。
ウネウネとうごめくような、不気味な絵がなんとも魅力的です。

第2章:生と迷路

1980年代当時のニューヨークは、ペンシルベニア州ピッツバーグから移ってきたヘリング氏にとって自由で刺激的な場所でした。
しかし同時にHIVの蔓延が社会に暗い影を落とし始めてもいました。
混沌と希望に溢れるこの街でヘリング氏は。生の喜びと死への恐怖を背負い、「エイズ」によるコミュニティへの偏見と闘いながら、約10年間という限られた時間でエネルギッシュに創作活動に勤しみました。
また、独自の表現を推し進める中で様々なアーティスト、他国の芸術から着想を得ていきます。

スリー・リトグラフス

スリー・リトグラフス

《スリー・リトグラフス》

スリー・リトグラフス

《スリー・リトグラフス》

1985年の作品。
内1つは描写的な理由によりここに掲載をしておりません。

「人の梯子」はバランスを保とうとしてる人々に、「共同体は個人で活動するより強固になる」という考えが反映されていると言われています。

フラワーズ

フラワーズ

《フラワーズ》

フラワーズ

《フラワーズ》

フラワーズ

《フラワーズ》

フラワーズ

《フラワーズ》

フラワーズ

《フラワーズ》

合併症でなくなる直前である1990年の作品。
花が記号として重要な意味を持っているとされています。

フラワーパワー(Flower Power)と呼ばれる、花を平和と愛の象徴として用いたヒッピーの反戦運動が想起されます。
これはヒッピー文化やカウンターカルチャーを生み出したビートニクの詩人アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg,1926-1997)が1960年代に提唱した平和的抗議活動に端を発します。
しかし一部ではへリング氏にそのような思想的背景を重ね合わすことに「無理がある」という声もあります。

バッド・ボーイズ

バッド・ボーイズ

《バッド・ボーイズ》

バッド・ボーイズ

《バッド・ボーイズ》

バッド・ボーイズ

《バッド・ボーイズ》

バッド・ボーイズ

《バッド・ボーイズ》(テキスト)

バッド・ボーイズ

《バッド・ボーイズ》(ケース)

直訳すれば”悪ガキ”ですが、ここから転じて”時代の流れに逆らう反逆児”という意味も持ちます。
アメリカ政府に対する批判はもちろんのこと、セクシャリティに関する権利という、今の時代になってようやく理解が進んできたことをこの時代に描く勇気に心を動かされました。

ピラミッド

ピラミッド

《ピラミッド》

ピラミッド

《ピラミッド》(細部)

ピラミッド

《ピラミッド》(細部)

彼の作品にはピラミッドが頻繁に登場します。
風刺画として社会的な問題を多く取り上げていることを鑑みると、「上下関係の構造を端的に表す意味合いと、古代から続くシンボルマークとしての不思議なパワーを同時に投影したかったのかも」という考察もなされています。

《無題》白黒転写自画像

白黒転写自画像

《無題》(白黒転写自画像)

白黒反転させた自身の写真をキャンバスに転写し、得体の知れない怪物をアクリル絵の具で描いて画面を覆った、不穏な空気を醸し出す大型の自画像。
社会の抱える深淵を表現してきたヘリング氏が親しい人を亡くしたタイミングで描き、自分自身を題材にすることで人生と向き合った作品と言われています。
写真はイタリアの写真家ジャンフランコ・ゴルゴーニによる撮影。

ストーンズ

ストーンズ

《ストーンズ》

ストーンズ

《ストーンズ》

ストーンズ

《ストーンズ》

ストーンズ

《ストーンズ》

ストーンズ

《ストーンズ》

古代の壁画のような作品。
古代エジプトや古代アステカを思い起こさせる作品には、何か特別な、神聖なパワーを感じました。

ドッグ

吠える犬

《ドッグ》

ここでも登場するドッグ。
人間に首輪がかかった描写や、「TV」というメディアを表す単語は、やはり当時のアメリカ政府を指しているのでしょうか。

《無題》蛍光アート

蛍光アート

《無題》(蛍光アート)

蛍光アート

《無題》(蛍光アート)

蛍光アート

《無題》(蛍光アート)

蛍光アート

《無題》(蛍光アート)

蛍光アート

《無題》(蛍光アート)

ニューヨークの大手画廊「トニー・シャフラジ・ギャラリー」より出版されたこの版画シリーズには蛍光インクが使われました。
ピラミッドや古代エジプトのアンクなど、生命のシンボルが描かれ、光り輝く妊婦やダンスの動きが盛り込まれることで、母親たちの強さを讃えていると言われています。
身体の動きを表現する線(アクションライン)を効果的に使った作品でもあり、絵に動きを感じさせます。

第3章:ポップアートとカルチャー

1980年代のニューヨークは不況の影響で現在以上に犯罪が多発する都市として知られていました。
一方でクラブシーンは盛り上がりを見せており、ストリートアートが隆盛を極めるなど、街も文化も人々もパワーに溢れていました。
アーティスト、音楽家、作家、詩人、トップモデルなども皆クラブに通い、若いアーティストがギャラリーやシアター以外の場所でも、自分の才能を試すことのできる機会が多かった時代でもあります。
特に「パラダイス・ガレージ」はヘリング氏が最も愛したクラブであり、DJの神様と言われたラリー・レヴァンの踊りに熱狂するだけでなく、創作のアイデアが湧き出る神聖な場所でもあったといいます。
文化と芸術が混じり合う時代と場所で、ヘリング氏はポップアートのみならず舞台芸術や広告、音楽などと関わりながら制作の場を広下ていくとこととなります。

『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セット

『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セット

『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セット

1985年の作品。
非常に大きいサイズの作品であり、横幅6mを超える大画面一杯に、黒い線でダンサーたちが踊るように描かれています。

スウィート・サタデー・ナイトは、1985年2月にブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックにて、黒人のストリートダンスと社交ダンスの300周年を記念して上演されたパフォーマンスです。
舞台セットとなった本作からは、ニューヨークで最盛期を迎えていたクラブカルチャーの熱気を感じられます。
フィナーレのローリー・ミッチェルによるブレイクダンスがこのバックドロップをさらに際立たせました。

『秘密の牧草地』のための舞台セットの一部

『秘密の牧草地』のための舞台セットの一部

『秘密の牧草地』のための舞台セットの一部

1984年の作品。
こちらも舞台セットのため、大きいサイズの作品になっています。

キース・ヘリング:84年へ

キース・ヘリング:84年へ

《キース・ヘリング:84年へ》

1984年に開催されたトニー・シャフラジ・ギャラリーでの個展のポスターに使われました。
ダンサー兼振付師として当時から第一線で活躍していたビル・T・ジョーンズ氏の肌をキャンバスに見立て、白い絵の具でヘリング氏がペインティングを行いました。
写真家のツェン・クウォン・チ氏がその様子を撮影し、オリジナル写真をオフセット印刷した上にボディに赤い線を加えて作成。
3人のアーティストによる協働作品です。

レトロスペクト

レトロスペクト

《レトロスペクト》

「回顧」を意味するタイトルの本作は、ヘリング氏がよく描いたポップショップ、吠える犬、天使、人間などのモチーフが24コマの画面で構成されています。
日常的に存在する存在や概念を表現しているとされています。

アンディ・マウス

アンディ・マウス

《アンディ・マウス》

アンディ・マウス

《アンディ・マウス》

アンディ・マウス

《アンディ・マウス》

アンディ・マウス

《アンディ・マウス》

アンディ・ウォーホル氏とのコラボレーション作品。
アーティストとして駆け出しだったヘリング氏にとって、アンディ・ウォーホル氏は絶対的な存在であり、最も尊敬するアーティストの一人でした。
そして1983年春、イースト・ヴィレッジにオープンしたファンギャラリーでの個展でついにこの2人は出会いました。
この出会い以降、親子ほど年が離れた2人の交友関係が始まりました。
ヘリング氏はアンディ・ウォーホル氏の工房に出入りするようになり、ついには共同制作を行います。
それが本作ということですね。

「アンディ・マウス」はヘリング氏が幼い頃から好きだったディズニーのミッキー・マウスと、最も尊敬するウォーホル氏とを融合させた作品。
作品に描かれたマウスとドル札からは、資本主義社会に対する皮肉を読み取ることができます。
ヘリング氏のタッチとウォーホル氏のサインが、歴史的なコラボレーションであることを証明しています。

ラッキー・ストライク

ラッキー・ストライク

《ラッキー・ストライク》

ラッキー・ストライク

《ラッキー・ストライク》

ラッキー・ストライク

《ラッキー・ストライク》

有名な銘柄ですね。
1987年にラッキー・ストライクを製造する会社から依頼を受けたヘリング氏は、3種類の80部限定の版画作品を制作します。
ゴールドラッシュ時代に金鉱を掘り当てた者が言ったスラングである「Lucky Strike」。
ヘリング氏の躍動感溢れるイラストには「幸運の当たり(Lucky Strike)」といった感覚が表現されています。

モントルー

モントルー

《モントルー》

モントルー

《モントルー》

モントルー

《モントルー》

1983年にモントルーにて開催されたジャズフェスティバル用に描かれたポスター。
色違いの3パターンが存在し、ジャズのスイングとヘリング氏らしい蛍光色がマッチした作品。

スウォッチ

スウォッチ

《スウォッチ》

スウォッチ・ワールド・ブレイクダンス・チャンピオンシップのために、ヘリング氏が制作したポスター。

スウォッチは1983年にスイスで創業した腕時計ブランドであり、スイス製ながら手が届きやすい価格設定と、デザイン性に富んだ豊富なラインナップが人気です。

同ブランドが1984年9月にニューヨークで開催した史上初のブレイクダンスのイベントがこのスウォッチ・ワールド・ブレイクダンス・チャンピオンシップ。
スポーツ、アート、音楽がストリートカルチャーに融合した革命的で魔法のような瞬間がテーマ。プレッシャーもなければ、メダルもなく、ただ創造性と自分らしさを表現するチャンスがあるのみというもの。
人々に自分自身を表現する時間と空間、そして自由を与えたときに、どんなことが起こり得るかという場をスウォッチが提供しました。
同イベントの宣伝も同じようにフリースタイル形式で行われ、とりわけヘリング氏の制作したポスターはイベントの本質をとらえていました。
同イベントに対する彼の熱意も相当高く、実際に審査員としてスウォッチが贈られる受賞者の選考を手伝うほどでした。

キース・ヘリングと音楽(レコードジャケット)

ヘリング氏が手がけたレコードジャケットを紹介します。

『Life Is Something Special』
『Life Is Something Special』のレコードジャケット

『Life Is Something Special』

レコードジャケットにおけるヘリング氏の最初の仕事は、ピーチ・ボーイズのアルバム『Life Is Something Special』のジャケットカバーです。

ピーチ・ボーイズは、80年代のニューヨークのゲイ・ディスコ "パラダイス・ガレージ"で結成されたダンスミュージックグループです。
パラダイス・ガレージのDJラリー・レヴァン氏を中心に、ローリング・ストーンズのバッキングヴォーカリストだったバーナード・ファウラー氏が歌を担当。
1984年に解散し、彼らが残した唯一のアルバムは、パラダイス・ガレージの常連だったヘリング氏のイラストで飾られました。

『Without You』
『Without You』のレコードジャケット

『Without You』

ロックスターのデヴィッド・ボウイ氏のシングル『Without You』のジャケットです。
この曲は彼の15枚目のアルバム『Let's Dance』からのシングル・カット。
『Let's Dance』は彼のキャリアハイとなったアルバムであり、全世界で累計1,000万枚以上も売り上げました。
プロデューサーのナイル・ロジャース氏は、このアルバムを皮切りにマドンナ氏やデュラン・デュラン氏などのアルバムを手掛け、80年代のダンス・ポップ・サウンドを象徴する時代の寵児に。
"人と人の繋がり"を描いたヘリング氏のジャケットも含めて、非常に80年代らしい曲となっています。

『Scratchin』
『Scratchin』のレコードジャケット

『Scratchin』

『Scratchin』は、1984年にイギリスのヴァージン・レコード(Virgin Records Ltd)からリリースされたマルコム・マクラーレン氏の12インチ・シングル・レコードです。
オリジナルはカリスマ・レコード(Charisma Records Ltd)で、前年にリリースされたLPアルバム「Duck Rock」からの2曲を含む計6曲の別バージョンが収録されています。
アルバムのカバーデザインは「Duck Rock」を担当したニック・イーガン氏が担当。同曲のカバーにも使われたヘリング氏のオリジナルドローイングをベースに再構築。新たなドローイング(ブレイクダンスを踊る若者)と様々な書体によるレタリングによって、ヒップ・ホップのらしさを表現したデザインに。
裏側にはヘリング氏のアイコンの1つ「吠える犬」も描かれています。

『Crack Is Wack』
『Crack Is Wack』のレコードジャケット

『Crack Is Wack』

1987年にリリースされたBipo(ビーポ)氏のレコード。
日本語訳すると「クラックはダサい」。
ヘリング氏は前年1986年に、イースト・ハーレムにて同タイトルの壁画を制作。ミュージックビデオはこの壁画の前で撮影されました。

『Paradise Garage』ラリー・レヴァンのライブ音源
『Paradise Garage』のレコードジャケット

『Paradise Garage』ラリー・レヴァンのライブ音源

パラダイス・ガレージのDJラリー・レヴァン氏のライブで使われた音源のレコードです。
常連だったヘリング氏がジャケットカバーを担当。

『Someone Like You』
『Someone Like You』のレコードジャケット

『Someone Like You』

1986年にヘリング氏は"ディスコの女王"の異名で知られる男性歌手シルヴェスター氏のシングル『Someone Like You(あなたに似た誰か)』のジャケットデザインを手掛けます。
『Someone Like You』はビルボードのダンスチャートで1位を獲得した彼の大ヒット曲です。
しかし2年後の1988年にシルヴェスター氏はエイズにより41歳で他界。その2年後の1990年にはヘリング氏自身もやはりエイズでこの世を去ります。

甘い生活

甘い生活

《甘い生活》

「Dolce Vita(ドルチェ・ヴィータ)」とは、"甘い生活"を意味するイタリア語です。
1960年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画の題名として世界中に広まりました。
その意味は英語で言うところの「Good life, Happy life」が相当するでしょう。人生の豊かさを表現する言葉ですが、「スローライフを楽しもう」という語感がしっくりきます。

クラブDV8「キース・ヘリングルーム」公開

クラブDV8「キース・ヘリングルーム」公開

《クラブDV8「キース・ヘリングルーム」公開》

1986年にサンフランシスコの「クラブDV8」で行われるイベントのために制作されたポスターです。

第4章:アート・アクティビティズム

ヘリング氏は大衆にダイレクトにメッセージを伝えるため、ポスターという多くの部数を制作でき、流通生が高く誰もが目にできる媒体を選びました。
題材はエイズ予防、反アパルトヘイト、反戦争、カミングアウトといった社会風刺画的な作品と、ラッキーストライクやスウォッチなどの企業の広告といった商業的作品まで、数多くの作品を残しました。
アートは人々の心を動かし、世界をより良いものにできると信じていたヘリング氏は、ポスターだけでなく、世界の多くの都市で建物の内外に壁画を描いたり、子どもたちとワークショップを行うなど、様々な手段でメッセージを発信し続けました。

黙は死

沈黙は死

《沈黙は死》

1987年にエイズに対する政府の無関心を告発するために、「Silence=Death(沈黙は死)」のロゴマークのステンシルやポスターがニューヨーク全体を埋め尽くしました。
ヘリング氏はのちにエイズ予防啓発運動団体"ACT-UP"を結成するメンバーに。
三角形のピンクマーク(ピンク・トライアングル)は、元々ナチスの強制収容所で同性愛者が装着を強制された識別胸章のことを指します。
現在ではLGBTのプライドや権利を象徴するシンボルとして使われています。

無知は恐怖 沈黙は死

無知は恐怖 沈黙は死

《無知は恐怖 沈黙は死》

1989年の作品。
3人の人間が描かれ、日光東照宮の"三猿「見ざる、言わざる、聞かざる」"のようですが、ここで伝えているのは正反対のメッセージ。
エイズへの無関心や差別に対し、「目を向け、声を聞き、発言しよう」と訴えています。

アートを使ったエイズとの戦い

アートを使ったエイズとの戦い

《アートを使ったエイズとの戦い》

ヘリング氏がエイズと診断された後に制作されたポスター。
彼は自身の力の源であるアートを使い、エイズに立ち向かいます。

ナショナル・カミングアウト・デー

ナショナル・カミングアウト・デー

《ナショナル・カミングアウト・デー》

「ナショナル・カミングアウト・デー(毎年10月11日)」は、1988年に心理学者のロバート・アイクバーグとLGBTQ+の権利活動家であるジーン・オリアリーのもと、セクシュアル・オリエンテーション(性的指向)や、ジェンダー・アイデンティティ(性別)を公言する"カミングアウト"を祝福する記念日として定められました。

ヘリング氏は1980年代、HIV流行によりゲイ・コミュニティへの差別や偏見が強まっていた当時、自身の性認識をオープンにして活動していた類稀なるアーティストでした。
「クローゼットに閉じこもる(LGBTQ+を隠していることを指す状態)」から、「色鮮やかな世界に飛び出す(カミングアウトしてありのままの自分として生きる)」ことを祝福する絵ですね。
本作は現在でもナショナル・カミングアウト・デーのシンボルとして広く知られています。

南アフリカ解放

南アフリカ解放

《南アフリカ解放》

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)下において、当時少数にも関わらず権力を持っていた白人に対して、多数ながら迫害を受けていた黒人の闘争を描いたもの。
抑圧を象徴する首輪をかけられた大きな黒人が、小さく描かれた白人を圧倒するかのように立ち上がる構図です。
ヘリング氏はこういった複雑な社会情勢をコミカルな表現で風刺画的に表現し、問題の本質を大衆に分かりやすく伝えていました。

ヒロシマ 平和がいいに決まってる!!

ヒロシマ 平和がいいに決まってる!!

《ヒロシマ 平和がいいに決まってる!!》

このポスターは1988年に広島で行われたチャリティコンサートのために制作され、その収益は被爆者や医療施設の建設費に当てられました。

核放棄のためのポスター

核放棄のためのポスター

《核放棄のためのポスター》

1982年にヘリング氏はこのポスターを自費で2万部印刷し、セントラル・パークで行われた核兵器と軍拡競争に反対する大規模デモにて無料配布。
デモには約100万人が集結し、核兵器の削減や核の拡散防止を訴えました。

1988年にヘリング氏は広島平和記念資料館を訪れて戦争の悲惨さを目の当たりにし、「二度と繰り返してはいけない」と日記に残しています。
アートの力により世界を平和にできると信じていたヘリング氏は、最も端的に視覚に訴えることのできるポスターを使って社会の問題に立ち向かいました。
ヘリング氏はこのポスターにはじまり生涯を通じて世界平和に対するメッセージを発信し続けました。

クラック・ダウン!

クラック・ダウン!

《クラック・ダウン!》

コンサート「クラックダウン・オン・クラック(クラックの取り締まり)」のためのポスターです。
躊躇なく踏み潰す姿は、当時若者の間で蔓延していたクラックの危険性を警告し、使用してはいけないことを訴えています。
日本で言うところの「ダメ、ゼッタイ」ですね。
ヘリング氏はクラックで命を落とす人々を目の当たりにし、同じテーマでニューヨークの壁画を制作したり、レコード「クラック・イズ・ワック」のジャケットを手がけたりし、積極的にこの問題に取り組みました。

楽しさで頭をいっぱいにしよう! 本を楽しもう!

楽しさで頭をいっぱいにしよう! 本を楽しもう!

《楽しさで頭をいっぱいにしよう! 本を楽しもう!》

ニューヨーク公共図書館からの依頼で、識字率向上のためにヘリング氏が制作したもの。
多様な人種・民族で形成されるニューヨークでは、当時から英語でのコミュニケーションに課題を抱える人が多く、日常生活での支障やコミュニティからの疎外など、多くの困難が生じていました。
本作品はこの社会的課題に対し、シンプルなビジュアル・メッセージを用いて解決を促しています。
ポジティブな投げかけにより社会をより良い方向へ変えようとするヘリング氏の姿勢が感じ取れます。

第5章:アートはみんなのために

アートを一部の知識人や富裕層だけでなく、多くの人々に届けたいと考えたヘリング氏は、ストリートや地下鉄での展開に始まり、自身がデザインした商品を手頃の価格で販売するポップ・ショップというアート活動を展開。これらの活動により大衆が身近にアートに親しむことができるようになりました。

赤と青の物語

赤と青の物語

《赤と青の物語》(表紙)

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

赤と青の物語

《赤と青の物語》

子どもたちのために作られた20枚からなるシリーズ。
はじめに赤と青の抽象的な図形を描き、そこに大胆な黒い線を加えることで、三匹の子ぶたやハンプティ・ダンプティを彷彿とさせるキャラクターに。
最後には赤と青が混ざり合い、人の手に握られた卵の形になります。

感覚でとらえられる、ストーリーのない絵本ともいえますが、一点一点が独立した作品でもあります。
このシリーズは1点のみや、20点すべてを使って物語を考えることを目的としており、アメリカの学校やこども美術館が物語創作コンテストで使用するなど、教育プログラムにも取り入れられています。

ルナルナ、詩的な狂想劇!!

ルナルナ、詩的な狂想劇!!

《ルナルナ、詩的な狂想劇!!》

「ルナルナ」は1987年にドイツ・ハンブルクで開催された、遊園地・現代アート展。
アンドレ・ヘラー氏による企画で、キース・ヘリング氏のほかダリ氏、リキテンシュタイン氏、バスキア氏、ケニー・シャーフ氏など、当時活躍していたアーティストが招聘され、子どもの乗り物や遊具がデザインされました。
本作品はへリング氏がデザインしたメリーゴーランドを記念して制作された飛び出す本型の立体作品です。
この「ルナルナ」は世界各地を移動する計画でしたが、諸々の事情によりハンブルクでオープンした年に閉鎖することに。
しかし、35年の時を経てラッパーのドレイク氏の尽力により、この遊園地が復活するプロジェクトが始動していると報じられています。

ポップ・ショップ

ポップ・ショップ

《ポップ・ショップ》

1986年にニューヨーク市にオープンしたポップ・ショップ(Pop Shop New York)用にデザインし制作したビニールバッグ(Pop Shop Plastic bag)のうち、1種類の原画と思われます。
ビニールバッグ自体はカラフルなカラーが配色され、明るい雰囲気となっています。

ジュリア

ジュリア

《ジュリア》

スチールに単色をペイントした作品。
こちらだけ題名が付いていますが、次の4つは題名がなく、通称で呼ばれています。

《無題》スチールにペイント

《無題》スチールにペイント

《無題》(スチールにペイント)

《無題》セルフ・ポートレート

《無題》セルフ・ポートレート

《無題》(セルフ・ポートレート)

自撮りする人を表現した立体作品。
スマホ時代を予測していたかのような作品です。

《無題》Sマン

《無題》Sマン

《無題》(Sマン)

《無題》踊る3人のフィギュア

《無題》踊る3人のフィギュア

《無題》(踊る3人のフィギュア)

第6章:現在から未来へ

17点の連作《ブループリント・ドローイング》は「ニューヨークでのはじまりを啓示するタイムカプセル」だとヘリング氏は書き残しています。1点ごとに解説はなされていませんが、資本主義の不平等や争い、テクノロジーが人類を支配する未来がモノクロでコミックのように淡々と描写されています。彼の多くの作品と同じように、鑑賞者が作品と向き合い、個々の現実に照らし合わせて意味を考えるように促しています。
ニューヨークでの最後の個展に出品された《無題》、キュビズムの影響が垣間見える《ペルシダ》、のちに彼の代表的なアイコンとなる《イコンズ》も、鑑賞者の数だけ意味が生まれていきます。
現在を未来として描き、未来を現在として描いたヘリング氏の思い。没後30年以上経った今でも、彼の残した作品たちは我々にメッセージを与えてくれています。

ブループリント・ドローイング

ブループリント・ドローイングの全体写真

《ブループリント・ドローイング》(通路の写真)

ブループリント・ドローイング

《ブループリント・ドローイング》

ブループリント・ドローイング

《ブループリント・ドローイング》

ブループリント・ドローイング

《ブループリント・ドローイング》

ブループリント・ドローイング

《ブループリント・ドローイング》

ブループリント・ドローイング

《ブループリント・ドローイング》

ブループリント・ドローイング

《ブループリント・ドローイング》

17点のドローイングは1980年12月から翌年1月までの数週間をかけて制作されたもの。
オリジナルのドローイングはヘリング氏が故郷の版画工房に持ち込み、ブループリント(青写真法)をする企画であったため、皮紙に墨で描かれました。
時系列的にはちょうどニューヨークでサブウェイ・ドローイングをはじめた頃のことですね。

ドローイングは1981年2月にウエストベス・ペインターズ・スペースという小さな画廊で展示されました。
彼のニューヨークでの最初の個展です。
展示会は1週間でしたが、会期中ブループリント数点が売れ、その後オリジナルのドローイングも売れました。

現在ではその所在は不明ですが、手放す前にドローイングを撮影していたことで、今回この版画が制作できました。
ヘリング氏は本作について、「これは、ニューヨークでの僕のはじまりを啓示する完璧なタイムカプセルといえる。」と述べています。

ペルシダ

ペルシダ

《ペルシダ》

伝統的な支持体であるキャンバスにアクリル絵具で描かれています。
アフリカ美術に影響を受けたパブロ・ピカソ氏の作品群との類似性があります。

ヘリング氏はアフリカの仮面や工芸品が宗教や呪術的な目的のために作られたものであることを理解し、学生時代から晩年に至るまで古今東西の美術史を学び、自身の創作に落とし込んでいくという思考の一端が見て取れますね。

《無題》逆三角形の絵

《無題》逆三角形の絵

《無題》(逆三角形の絵)

下書きせずにリズミカルなラインで描いていく作品とは異なり、形と色使いを事前に構成した上で描かれています。
ヘリング氏独自のスタイルに、アンディ・ウォーホル氏のカモフラージュを引用したり、フランク・ステラ氏が用いたシェイプトキャンバス(四角形でないキャンバス)と取り入れたりしています。
美術史を研究し、表現に取り入れてきたヘリング氏の集大成と言えます。

イコンズ

没年に出版された5点による版画作品シリーズです。
彼の作品の中でも高い知名度を誇ります。

光り輝く赤ん坊
光り輝く赤ん坊

《光り輝く赤ん坊》

《はいはいする赤ん坊》とも《光り輝く赤ん坊》とも言われる本作は彼のアイコン的な作品の1つ。
彼にとって赤ん坊は純粋で無垢で善性で、未来への希望です。
またこの赤ん坊は彼自身を示唆しています。

ドッグ
ドッグ

《ドッグ》

《ドッグ》は彼の作品に度々登場します。吠える犬は行動性・懐疑心・権力・当時のアメリカ政府・成長発展を意味するとされて居ますが、ヘリング氏自身はキャラクターそのものに込めたメッセージについてはっきりと言及はしていません。
ダークな意味合いを持つことを示しつつもあえて定めないことで、絵を見た人が独自の解釈をできるような作風になっています。

天使
天使

《天使》

《天使》は心霊的な存在を示します。人間界の権力と混沌とした人生の守護神の象徴を描きたかったとされています。

飛ぶ人
飛ぶ人間

《飛ぶ人間》

《飛ぶ人間》の胸のバツマークには2つの意味を読み取ることができます。
クロス(十字架)とカップリング(結合)の象徴とされています。

笑う顔
笑う顔

《笑う顔》

《笑う顔》は3つの目を持つ不思議なキャラクター。通常三つ目は貪欲を意味しますが、未知のコズミックエネルギー(全てなるもの創造主から生まれたエネルギーたちのこと)の象徴とも。
ただし、ヘリング氏曰く「特定の意味はない。」とのこと。

トニー・シャフラジ画廊

トニー・シャフラジ画廊

《トニー・シャフラジ画廊顔》

ニューヨークで最後の開催となった個展のポスター。
柔らかく儚い泡が浮かび、ジャボン玉の中には赤ん坊の時のヘリング氏の写真がコラージュされるなど、これまでの告知ポスターにはない表現が使われています。

エイズと診断されてまもなく開催されたこの個展は、ヘリング氏がのちに「それまでペインティングというメデイアを通じて僕が達成したものの総括と言っていい。」評しており、《無題》(逆三角形の絵)など、自身の力量を試すような挑戦的な作品が多数出品されました。

番外編:キースヘリングと日本

この章だけは撮影が禁止されています。
ヘリング氏と日本の関わりについて述べられ、ポップショップで販売されていたグッズや、原宿での活動、スポーツチームとの関わりなどについてを知ることができました。

売店でオリジナルグッズを手に入れよう!

キース・ヘリング展のグッズ売り場

皿・マグカップなどの食器類。

キース・ヘリング展のグッズ売り場

奥にはTシャツ売り場がある。

キース・ヘリング展のグッズ売り場

トートバッグも買える。

最後の部屋(番外編の部屋)を出ると特設のグッズショップがあります。
気に入った作品をモチーフとしたTシャツ、バッグ、マグカップなどを購入できます。

僕が購入したのはレトロスペクトをモチーフにしたポストカード。
写真立てに入れて飾るとミニアートのようで素敵です。インテリアにも良いですね。

キース・ヘリング展のポストカード

レトロスペクトをモチーフにしたポストカード。

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キース・ヘリング展の開催予定

福岡会場は終了しましたので、次回以降の開催予定をお伝えします。
近くにお住まいの方はぜひ観に行ってみてください。

現在は名古屋の松坂屋美術館で開催中【9/28〜11/16】

現在は名古屋会場で開催中です。
期間は2024年9月28日(土)~11月16日(土)。会場は松坂屋美術館ですね。

以降は静岡市美術館、茨城県近代美術館の順で開催

静岡会場(静岡市美術館)は2024年11月28日(木)〜2025年1月19日(日)で開催予定。
水戸会場(茨城県近代美術館)は2025年2月1日(土)~4月6日(日)で開催予定です。

貴重な機会なのでお見逃しなく!

【まとめ】キース・ヘリングの作品を鑑賞した感想

エンジェル・オルティス(LAⅡ)との共同制作

アート=絵にとどまらない、語りかけるようなメッセージ性に心を打たれました。
「彼がアートで表現したメッセージは、今を生きる我々も考え続けなければならない。」という意識が芽生えました。

2024年現在、戦争、食糧難、地球温暖化、感染症の蔓延、インターネット問題など、世界は様々な問題に直面しています。
彼が遺したアート(意志、メッセージ)を、我々はもう一度自分事として捉えて、考えなければならないと思います。

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